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1992年当時の埼玉県ベストplayer

1992年度の第74回全国高校野球選手権大会は星稜高校の松井秀喜選手(読売ジャイアンツーNYヤンキースなど)から始まり、あの社会問題にもなった5連続敬遠で終わった感があるが埼玉県内でもプロに行っても活躍できたかもしれない素晴らしい選手がいたことを忘れてはならない。
*あくまで管理者の妄想でございます

染谷 慶太(浦和学院)

 


1992年春の選抜甲子園の立役者。この年、数多くの好投手左腕がいたがその中でもトップクラスの左腕

橿淵 聡(春日部共栄)

 


春日部共栄に橿淵あり!主将も務め、高校から即プロでも全くおかしくない逸材で誰もがプロに行くと疑わなかった脅威のスラッガー

三ケ島 和宏(秀明)

 


1992年夏の県大会最多安打記録を樹立!決勝までの7試合で打率500以上の打率をマーク!対戦相手から最も警戒されていた選手の一人でもある。

佐藤 一郎(伊奈学園)

 


2学年上の銭場投手を彷彿とさせた一級品の右サイドスロー投手。切れ味鋭いスライダーは対戦打者が動けない時もあるほどだった。

進 大輔(大宮東)

 


当時のチームは、下級生主体の中でベスト4まで進出!しかし進主将がいたからこそのベスト4だと誰も疑うものはいないだろう。

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